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    東北支部 四季折々探勝会
   
山形市、県立郷土館「文翔館」や 霞城公園等城下町から 商人町への探勝見学会
                                            田中 勇紀 

  ◆  サークル名: 四季折々探勝会
  ◆  開催日 : 2016(平成28)年 6月 8日 (水)
  ◆  参加者 (50音順、敬称略)
    倉田、鈴木、田中、深谷、三神、 森

                 
 全 6名

  右は済生館の中庭で撮影 ⇒ 
クリックで元の画像が出ます 

◆ 実施レポート
仙台駅在来線改札口前に集合、仙山線で山形駅まで行く。

< 霞城公園(かじょうこうえん)
斯波兼頼が築き11代城主最上義光が拡張したと言う山形城は本丸、二の丸、三の丸を有し平城としては全国有数の大きさと云う、外堀、内堀があり石垣にその頃の面影が見られました。

城内を廻りながら霞城公園内にある山形市郷土館に向かう、市立病院済生館の本館を移築復原したもので擬洋風建築で中庭を囲む14角形の建物で3層の塔屋を有しておりました。国指定重要文化財になっていると云うが中に入って説明書を見ておりましたら初代山形県令三島通庸の命により明治11年に建てられ太政大臣三条実美により「済生館」と命名されたと云う、アルブレヒト・ローレツ博士(オーストリア人)が医学寮教頭兼館医として就任して指導した事や三島実美の書等も沢山展示されておりましたが何と言っても当時から近代までの医療関係の資料や展示物が多数あり吃驚致しました。講堂からの眺めも素晴らしいものでした。良くぞ明治の初めに造った物と思いました。

感激しながら城外にでて食事所に向かいました、山形に来たのだからと云う事で山形ソバを皆さんで頂きました。

< 山形県郷土館 文翔館(ぶんしょうかん)
団欒も弾んだあと雨も降って来たのでタクシーに分乗して文翔館に向かう。

旧県庁舎と旧県会議事堂を山形県郷土館「文翔館」として公開しており、共に東京駅丸の内駅舎とほぼ同時期の大正5年に建築されたレンガ造りの建物である。旧県庁舎はまるで西洋のお城のようだ、藩政時代のお城に代わって県の威光を表し、時代の先端を象徴する存在だったのだろう。正面から眺めたときに石造りのように見えるのは、外壁が花崗岩の石張りで覆われているためだという。ガイドさんがついてお部屋一つ一つを丁寧に案内してくれた。

3階の正庁(講堂)では訓示や辞令の交付、大事な会議などが行われ、絢爛豪華という言葉がぴったりの内装で特に天井にあるしっくいの花飾りは、花びら一枚一枚に至るまで精巧に作られていた。「復興の際、文化庁の許可を得て、この花飾りの中に紅花の花とサクランボのデザインを一つずつ入れたという、見つけると幸福になるといわれていますよ」と云うが見つける事が出来ませんでした。県令の使用していた机に座らせて貰ったり昭和天皇がお泊りになったお部屋を見せてもらったり当時使用していた内務部長室で全員で懇談(雑談)も行いました。貴賓室、旧県会議事堂も見学して帰る。

戦災や震災にも遭わず今まで残っていたものと思いましたが素晴らしい遺産と思いました、時計塔も磨耗した部品の取替えや修理を行い市内の時計技師が保守点検を行って今でも使用していると云う。

四季折々、探勝会も今まで仙台市と松島地域を除いて宮城県内10ヶ所訪問、見学して県内概ね探勝致したやに思いましたので移動に時間がかかると思うものの近県地域も探勝会の訪問、見学地域に考え今回初めての場所として山形市を考えて見ましたが参加して頂いた皆さんの評判も良く楽しく終る事が出来ました。
             世話人 田中 勇紀(記)

 訪問地周辺の地図はこちらから  クリック
山形市霞城公園の全体図がみつかります


済生館本館


済生館の前で


山形城 最上義光像 の前で


山形城の入り口


山形城 本丸前にて

文翔館 県令の机に座ってみた

文翔館 執務室の見学

内務部長室で会議中? (クリックで拡大)

文翔館入口にて(左から敬称略)三神 鈴木 森 深谷 倉田 (撮影:田中)

首都圏から山形へ行くには福島駅で分岐する山形新幹線で乗換えなしで行けます。仙台駅から山形駅に向かう仙山線にも何度か乗りましたが、途中には作並温泉や芭蕉の句にも詠われた山寺があり風情がありましたね。
この同好会の記事編集する時は、訪問地の地図を毎回探して掲載していますが、次回はどこを訪ねるのか…楽しみです。その前に、他の同好会の例会が毎月入れ替わりで開催され、その中に新しい同好会の始動があるかもしれませんね。
           2016年 6月  編集:須田


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