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東北支部《 四季折々、探勝会 》報告
二本松市の日本菊人形祭りと智恵子抄見学
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サークル名 「 四季折々 探勝会 」
◇実施日 : 令和6年11月5日(火)
◇参加者 : 6名(敬称略、アイウエオ順)
川村 修、倉田敏郎、鈴木春夫、
田中勇紀、半澤理枝子、三島典子
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会場前で記念写真 (左から) 半澤、川村、三島、鈴木、田中、倉田
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今春から金華山見学や尾花沢市の銀山温泉も考えましたが、二本松市の菊人形祭りと 智恵子抄見学を実施いたしました。 仙台駅に集合し、9時5分発の電車に乗り白石駅と福島駅で乗り換えて二本松に行き、駅からタクシーで霞ヶ城跡の敷地会場の菊人形祭りを見学しました。
菊人形祭りの歴史は古く、二本松では藩政時代より菊の愛好者が多く、昭和初期から菊人形が町に飾られていたといいます。その後、戦後の昭和30年から始まり、回を重ねるごとにスケールと豪華さを増し国内最大の菊人形展であり『日本最大の菊の祭典』としても知られているそうです。
広大な会場に3万株もの菊が咲き誇り、紅葉と共に人々の目を楽しませていました。 平日の今日もこれだけの見学者がいるなら昨日までの連休中はかなりの入場者がいたのだろうなと思いました。
菊人形展の見学が終わり、次に高村智恵子の生家と記念館見学にいきました。 智恵子は明治時代末期から大正時代にかけての当時としては珍しい女流洋画家で、精神を病んでからは病院で千数百点もの紙絵を制作しているそうです。
夫である高村光太郎は智恵子との純愛を綴った不朽の名作「智恵子抄」で有名ですが、智恵子自身も芸術家として、いくつもの作品を残していました。智恵子の生家は明治の初期に建てられた造り酒屋で、屋号「米屋」、酒名「花霞」といいます。
2階には智恵子の部屋があるそうですが、残念ながら今は見学することができません。
今回計画した四季折々、探勝会も予定通り進み、金谷川駅から電車に乗り込み、車窓に映る紅葉を暗くなるまで眺めながらOB仲間との話も弾みました。各駅停車の旅もいいものです、いつの間にか仙台へと帰ってきました。
報告 田中(世話人)
写真 倉田
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行きの車内笑顔です |
二本松少年隊群像 |
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菊人形見学スタート |
記念撮影 |
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